とび森日誌 懐かしのあの玩具達

昨日のとび森での花火大会。
いなりくじで貰える景品全てコンプするのは一夜限りじゃ無理かな、
なんて思ってたけど日記書いたその後も何度か引いてたら
そこまで時間かからず全ての景品が貰えちゃいました。
昨日は花火向けたりしてごめんよつねきち

景品の一部に過去に任天堂が発売していた実在するおもちゃが家具として登場してるんですよね。


テンビリオン
1980年に任天堂が発売した、樽のような形状をしたパズルタイプの玩具である。発案者は横井軍平
透明なドラム(ドーナツ状の部品)が4個一体となっており、中にプランジャー(芯)が入っている。両端に3つの突起がついた黒い蓋がはめられ、全体は樽のような形状をしている。各ドラムの内周には球が入るスペースがあり、内側の2つのドラムにはそれぞれプランジャーと平行に球2個分のスペースが等間隔に5か所、一番上と下のドラムは球1個分のスペースが3か所だけある。蓋の3つの突起はちょうどこの外側のドラムのスペースに入るようになっている。球は赤、橙、黄、緑、青の5色の球が各4個と、黒の球が3個の23個入っている。
内側2つのドラムは自由に回転させることができ、またプランジャーを上下に動かすことで、端のドラムのスペースに入っている球を押し出し、内側のドラムにある球を1個分だけずらすことができる。これらの操作でドラムの中の球を移動させ、最終的に5色の球を同色5列に並べることで完成する。

テンビリオン

テンビリオン


ラブテスター
1969年に任天堂が発売した玩具である。
形状は電流計のような形をしていて、本体からコードが一対延びている。その両端をカップルがひとつずつ握り、掌の汗を測定しその発汗量を以って「恋人同士の愛情の深さ」として測定した。開発の動機は「男女が気兼ねなく手を繋げる」ということから。
フジテレビ系テレビ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で取り上げられたことがある。

ラブテスター

ラブテスター


ウルトラハンド
1966年に任天堂が発売した玩具である。
原始的なマニピュレーター(マジックハンド)であり、手元で開いたり閉じたりすることで、ハンドが伸びて目標を掴み、縮めてから放すという構造(パンタグラフ式)になっている。この構造が子供に受けて、140万個も売り上げる大ヒット商品となった。発売当時の定価は600円。
任天堂社長の山内溥命名した。命名の由来は東京オリンピックの名残でウルトラCという言葉が流行っていたためである。
任天堂で設備機器の保守点検の仕事をしていた横井軍平が暇つぶしで社内で手製の伸び縮みするハンドを作って遊んでいたところを任天堂社長の山内溥の目に止まり、山内から「それを商品化しろ」と言われたのがウルトラハンドのきっかけとなった。



ウルトラスコープ
1971年に任天堂から発売された。
潜水艦から、遠くを見る、潜望鏡の様な感じ。
正式名称、オートマチック・ウルトラスコープと言う、商品名のとおり、全て電動、手元のアップダウンの二つのボタンで操作出来る。
ボタンを押すと、ぐいーんと、アンテナの様な物が伸びてきて、先端の折りたたまれたミラーが出てくる。
とび森ではウルトラコープと表記されているけど正しくはウルトラスコープ、誤字なのかも。


ウルトラマシン
1968年に任天堂から発売された。
横井軍平開発のウルトラシリーズ第二弾(第一弾はウルトラハンド)。
いわゆる家庭用バッティングマシンである。
ウルトラハンドのヒットで気を良くした山内博組長社長が、横井を新設した開発部に異動させて作らせた商品。開発のヒントは、学生時代の友達が竹の物差しでピンポン球を打って遊んでいたことだったという。
巨人のナイター中継を狙ってCMを打ち、子供たちの間で大人気に。販売年には80万台、翌年には100万台を売り上げるヒット商品になった。横井は野球ファンではなかったが、CM観たさに中継を見ていて巨人ファンになったとか。
因みにこれもとび森ではウルトラマシーンと表記されてるけど正しくはウルトラマシン


Wikipediaニコニコ大百科などから引用。
既に40年も前の玩具ばかりだ…。
今の小学生のみならず、20代である自分でも全く世代でない代物ですね。
素潜りでワカメを捕獲した時の「お前はここのワカメか」と言い今の小学生には置いてけぼりなネタがわんさか入ってるんだよね。